育児や介護の辛さ

先日、ケアマネージャーと話していて、「認知症が進行する過程で、周りもご本人も、つらいのが、『正常な時と、人格が変わったようになるときとが拮抗している時』なんです。」と教えてもらった。

耳が遠くなっていって、話が聞こえない、理解できないみじめさ、毎朝、自分の身体機能が衰えていく恐怖、時間間隔がわからなくなって、どこにいて何月何日なのかもテレビを見ないとわからない。。。それを、本人が恥ずかしいとか、こんなはずじゃなかったのに、と感じていて、しかも、そうなっているのは紛れもない事実なので、なんといってみようもない。

リハビリを頑張ってみたところで、筋力や瞬発力の衰えがなくなり、若いころのように自由に動けるのかと言ったらそうではない。「衰えていくのをゆっくりにはできる」レベル。漢字の練習や、新聞の社説を書き写す、などやってみても、認知症の進行は止まらない。

人間は生まれた瞬間から「死」に向かっていく。時間の流れは一方向だ。だから、いつかはみんなこうなるから、怒りをぶつけてもしかたない、と頭ではわかっていても、介護する側の人間は、いつでも聖人君子のようにはできないこともでてくるし、時には激しい憎悪の念にかられて、衝突することにもなる。
「老々介護」がどんなに大変なことか、想像を絶する、と言っても過言ではない。

「親なんだから」「きょうだいなんだから」果たしてそれだけで済まされることだろうか。

育児だってそうだ。

産んだんだから、育てて当たり前、かわいくて当たり前。

そう思えない自分は母親として、人として失格だ・・・・それで追い込まれていく。

子どもも、老人も、こちらが思うようになんか、ならないことの方が多い、と思っている方が長続きする、きっと。

育児や介護の大変さは、100人いれば100通りで、一筋縄ではいかないということと、

何よりも「つらい」「親が憎い」「子供が好きになれない」というマイナス感情を抱くことを否定されることが多いこと、ではないかな。

私も、ワンオペ・ダブルケア(介護と育児が同時進行)だし、仕事もしている。

心が折れずにやっていられるのは、怒りや憎しみを抱く自分を否定しないこと。だって、それも自分だから。

 

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